金属鏡に変わるガラス鏡が日本に来たのは、天文18(1549)年にスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に渡来して、九州の諸大名に会ったとき、そのうちの一人大内善隆に望遠鏡・時計・鏡などのヨーロッパ製の珍しい道具をに贈ったとされている。
つづいて、天正3(1575)年ガラスの製法がオランダ人から長崎に伝えられた。その後、天正10(1582)年、九州の大友・有馬・木村の三領主がローマへ使節を送り、その時の使節がガラス工場を見学し、その際にガラス鏡4枚とガラス器具2個を記念として持ち帰っている。ガラス鏡の新しい製造技術はその頃伝わったのであるが、ついに一般化されずに終わった。
泉州堺港は長崎同様に大開港地として繁栄を誇ったのてあるが、ガラスの製造技術は当時まだ伝えられていなかった。享保年間(1716〜1735年)長崎の職人が大阪に出てきてその製造法を伝えたとされているが、大阪では技術が未熟であったと思われる。
寛保年間(1741〜1744)には、堺に17名のガラス吹き屋がいたとされている。その後、宝暦5(1755)年に正式に大阪へ、また文政2(1819)年には江戸へガラスの製法が導入されている。こうして造られたガラス板に水銀引きしたものを当時「鬢鏡(びんきょう)」と称した。
我が国で初めてガラス鏡、すなわち鬢鏡が一般に製造され始めたのは、1740年代より1800年代での間であったということである。こうして泉州堺港へ技術が導入された鬢鏡製造方法は、当時の和泉国日根郡中ノ庄湊村(現在の大阪府泉佐野市)で完成され、岸和田藩の厚い保護により育成された。
この中ノ庄湊村の年寄・里井氏が書き残した日記に、鬢鏡の製造規模が記されている。大の部20センチ角で年間3,000枚、小の部5〜6センチ角で40,000枚となっている。 岸和田藩は鬢鏡製造業者を鏡元と呼んでおり、この鏡元は藩の指定業者であって、何人も自由に製造販売することを禁じていた。鏡元は幕末のころには16戸あり、素板作り、銀引き、さやつけ、木工等に分かれおり、従業員も大鏡元で50名、小鏡元で10名程度であり、総勢で200名以上いたとされている。 |
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鬢鏡から輸入板ガラス鏡へ移行したのは、明治10(1878)年以降である。明治16(1884)年頃より銀引き付舶来鏡が輸入され始められた。一方では、輸入板ガラスによる鏡が水銀使用によらず銀引き法で造られ始めた。
明治24〜25(1892〜1893)年頃から硝酸銀使用の天日による銀引き法へと移行し、さらに5・6ミリの磨き厚板ガラスが輸入されるに及んで、製鏡技術は飛躍的に向上したのである。
明治40(1908)年ごろまでは銀引、面取りなどの加工技術の不備、不便の問題を残しながらも、輸入板ガラスが順調に入手できるようになった。この頃、長い間の懸案だった国産板ガラスの製造が旭硝子株式会社(社長・岩崎俊弥)創立により開始された。尼崎市新城屋に明治43(1911)年4月、36トン溶解窯の火入れ式が行われ、記念すべきスタートを切ったのである。
その後、昭和初期には国産磨き板ガラス生産されるようになり、これが鏡の素板として使用されるようになった。現在(昭和27/1952年頃〜)の鏡素板は、フロート法により製造された平面性の非常に優れた板ガラスが使用されている。
これにより国産板ガラスによる鏡の製造に切り替わることになる。初めはラバース式円筒機械吹法で、品質が悪く、鏡の素板には問題があった。昭和3(1928)年にフルコール式に替わり品質の向上をめざし、遂に、昭和5(1930)年には欧米品を凌駕するに至った。これと前後して、磨き板ガラスの国産化も進められた。
旭硝子の磨き板ガラスは、昭和7(1932)年に市販され好評を博した。この磨き板ガラスの出現により、わが国の鏡の国産化が一段と進められた。。 |
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鏡の銀引の方法も、明治25(1893)年頃には硝酸銀使用の天日による銀引鍍銀法が開始され、次第に技術の改良も進められた。
その後、酒石酸カリナトリュームと硝酸銀との混合物による鍍銀法が過渡的に行なわれた。これは銀の還元が非常に遅く、非能率的だった。 この欠点を克服し、大正6(1917)年を前後して影日による鍍銀法が出現したが、完成したのは大正15(1926)年頃である。これは硝酸銀と化成ソーダとの混合物に天日によらない還元剤として砂糖と硝酸とアルコールの混合物を加えて鍍銀する方法である。
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この後は鏡の近代史となるが、昭和44(1969)年には我が国の板ガラス3メーカー(旭硝子・日本板硝子・セントラル硝子)により銅引鏡が自動連続生産方式により製造されるようになり、メーカーミラーと称して流通するようになった。また、前記磨き板ガラスは、現在ではフロート方式により生産された板ガラスの中から更に厳選されものが、鏡の素板として使用されている。 |
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